03.スタートラインの切り札


「仁王、雅治だと?」
「うん。凄い親切だったし、助けてくれる優しい人だったんだよ」
「あの詐欺師が無償で助けてくれる、か」

 黙って空中を睨む景吾くんに、今日の出来事を整頓しながら小さく振り返る。ちゃんから聞いた以上に、とても良心的でスマートな人だった。包容力もあって、お兄ちゃんにみたいに頼りたくなるような、そのくせ抜け目のない飄々とした人格。掴みにくいけど、優しかったのは事実。

「確かに手伝ってあげたいのは山々なんだけど」
「ああ。うちの部員も模擬店に関しちゃ、ぎりぎりかもしれねぇな」
「そう、なんだよね」

 はあ、と溜息をして項垂れる。確かに、雅治くんにはどうもできない状況を助けてもらった。だからせめてもの、お返しとして手伝いの1つや2つはしてあげたい。氷帝も立海も、成功できる方法はないのだろうか。唸り声をあげても、解決しないのはわかってるけど自然と零れてしまう。ああ、もうほんとどうしよう。電話も、雅治くんも。

「・・・それで?」
「え?」
「え、じゃなくて、それでどうすんだよ。は」
「私・・・?」
「そう。お前は、どうしたいんだ」

 私の間抜けな声に返答する景吾くんは、随分真摯だった。試合前の緊張感。そんな空気を連想させる。鋭い青みがかかった瞳に射抜かれて、無意識に緊張してしまったのかびくりと肩があがった。自分はどうしたいのか?どうするべきかじゃなくて、どうしたいのか。それだったら、やっぱり、私が選んでいいのなら。

「私は―――――、立海に行ってみたい」

 ついに言ってしまった。我侭と思われただろうか?それはそれで複雑だけれど、やっぱり立海で雅治くんを手伝ってみたいという気持ちに嘘はなかった。きちんとしたお礼も出来ていない。ちゃんがする雅治くんの評価も、多分とっても仲がいいから彼の優しさに気づかなかったのだろう。身近で、幼馴染だと聞いたから。少しそれが羨ましい。わからないけど、羨望してしまう。

「景吾くんも知ってると思うけど、ちゃんの幼馴染だから心配ないよ」

 なんで羨ましいのか、わからない。どうしてだろう?この違和感。考えてみてもわかりそうになかった。それよりも、今は景吾くんを説得できるかどうか。一瞬横切った雑念に唸る一方、一呼吸おいて眉間にシワをよせながら考え続ける景吾くんに「立海に行ってみたらダメ、かな?」とおそるおそる肯定の期待を含めて聞いてみる。

「お前がそうしたいなら、立海に行け」
「え、いいの?」
「良いも何も、最初から駄目だって否定はしてねぇだろ」
「・・・そっか、そうだね」

 景吾くんは先ほどの真摯な眼差しはどこへやら、澄み切った青みのかかる瞳は緩やかに弧を描いて柔らかかった。厳しく鋭い目線は変わらない。だけど親しい相手にはどこか優しさをみせる、まさに氷の帝王にふさわしい凛々しさだと思う。いつも凛としていて、事や計画のスマートさを思い出すと銀髪の彼が自然に浮かんだ。

「連絡」
「ん?」
「仁王の連絡先、聞いてないのか?」
「あ、ちょっと待ってね」

 ロッカーからかばんを取り出し、サブポケットに入っている携帯を握り締める。ついこの前登録されたアドレス帳にはしっかりと「仁王雅治」という文字。それだけでどきどきしてしまうのは一体なんでだろう。これで良い?と景吾くんに携帯を見せると小さく頷いて、射抜くような視線を携帯に向けた。

「・・・まさか向こうから仕掛けてくるとはな」
「なんのこと?」
「いや、こっちの話だ」

 思わず零れた景吾くんの独り言に律儀に返答してみせると、これ以上追求されたくないのか、はぐらかす様さらりと話を流す。 こういうときは無理して聞く必要はない。

、今から仁王に電話かメールしろ」
「い、いまからするの?」
「こういう決め事は早いほうが良いんだよ。俺にもお前とっても」

 ぶっきら棒に吐き出された言葉と反して声色は優しかった。いつもこうだな、と思ったのは内緒で、景吾くんにわからないよう少しだけ笑う。きっとそれを知ったら拗ねてしまうだろうから、ただ助けてくれる景吾の言葉を聞く。景吾くんは「それと、」と続けて口を開いた。

「悩んだまま上の空でマネージャーされても、こっちが迷惑だからな」
「うん、わかってるよ。でもね、―――ありがとう」

 そんなお礼に返事がないことは知っていた。だから私も大して気にせず、スムーズな動作で登録された雅治くんの電話番号を押す。少し緊張して身体が強張った。電話をするからか、あって間もないからか。それとも、雅治くんだから、か。緊張する理由はわからない。プルルル、と二回目のコールも鳴り終らない間に、電話越しに彼の声を聞く。

「もしもし、雅治くん?あの、実は手伝いのことなんだけど」

 これ以上どうしていいかわからず、おろおろしながらもヘルプの視線を景吾くんに配らす。景吾くんはそれにわかっていたのか、数秒考えてすぐに近くのボールペンといらない紙を手にとる。走り書きというにはあまりに綺麗な文字に驚きながらも、さらに驚愕したのはメモの内容だった。

(俺にかわれ)
(景吾くん、に・・・?)
(ああ、それが一番丸く収まる)

 過去の経験から、景吾くんの通りにすればまず間違いはなかった。疑問に思いながらも素直に頷いて考える。雅治くんがどう納得してくれるかわからないが、二人を繋ぐ自分が景吾くんと話してもらえる状況を作らないことには話がはじまらない。携帯の持っていない左手を強く握った。

「え、えっと・・・うちの部長が雅治くんに用事があるって、だから―――――」
『大歓迎じゃ。俺も、跡部に話したいことがあるから』

 気合を入れたわりには案外拍子抜けだった。雅治くんも景吾くんに用事があるらしい。二人の共通点はただのテニス部、それだけのはずなのに。何が、誰が、どうして関係しているのかわからなかった。今はとにかく、流れを身に任せるしかないのだろう。

「ところで景吾くん。ずっと前から聞きたかったんだけど」
「なんだ」

 はい、と携帯を手渡しながら問う。

「どうして立海のマネージャーなのにちゃんを氷帝に誘ったの?」
「ああ、そんなことか」

 本当は、始めから気になっていた。景吾くんの気まぐれかもしれない。もっと重要な理由があるかもしれない。そんな想像をしながら、聞くチャンスをうかがっていた。なんで彼女なんだろう。ただの興味関心でしかないのだけれど、わざわざ立海生なんて気になるのも無理はない。

 そんな問いに一度小さく見開き、すぐさま普段の彼に戻る。その質問が面白いわけでもないのに、景吾くんは楽しそうだった。「・・そうだな」と一言呟いてふっと気が抜けたように笑う。

「秘密、だ」





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